台場地区にあるオブジェ・モニュメント
台場地区にあるオブジェ・モニュメント
江戸時代に築造されたお台場(品川台場)を擁する台場地区では戦前に由来するオブジェ・モニュメントも置かれているのが特徴です。
・マップのレイヤーから「台場地区」以外のチェックを外すと見やすくなります
【目次】
ペリー来航を受けて1854年までに築造された7つの台場のうち、現在まで残存し一般に開放されているのが第三台場 (台場公園)です。ここにはその跡や戦前に復元されたものが今でも自由に見られます。
国史蹟認定を受けていることを示す石碑です。この場所はロープが張られている中にありますが、ルートによっては自然と辿り着けてしまいます。
上陸時に使われた石組みの船着き場です。元々この公園は船でしか辿り着けない場所でした。93年には目の前をレインボーブリッジが開通し東京港の新旧重なる景色を楽しめますが、風化が進んで崩れかけています。
第三台場に配備された砲台を大正時代に復元したものです。
文字通り弾薬などの火薬を取り扱っていた施設の跡地です。複数の施設が砲弾の死角に設けられ、今でも石造りがしっかりと残っています。いずれも草が生い茂っていたり柵が設けられているため内部を覗き見ることはできません。
植物に囲まれたエリアはかまど場だった場所です。置かれている設備は復元されたものです。ちなみに右側に見える椅子のようなものは休憩場所として設けられた家屋の基礎だったものです。
第三台場とともに史蹟として保全されている台場です。相対保存の第三台場に対して第六台場は絶対保存として手を加えないこととなっており、上陸も禁止されています。
第六台場はレインボーブリッジの遊歩道から見下ろせます。海に隔てられていることから他では見られない生態系があるとも言われています。
国史蹟認定を受けていることを示す石碑は第一航路に面したところに設置されています。
東京港を往来する船を波浪から守るため、戦前に造成された防波堤です。もっとも西にある2つの防波堤を現在は鳥の島と呼びます。第三台場に突き刺さっている部分も旧防波堤であり、有明・東雲へと間隔をあけて設けられました。元々1つの防波堤だったものが戦後分断され、新木場の完成までは第三台場貯木場の一角として使用されました。
経済発展に伴い海辺から失われた自然を取り戻す一環として整備された海上公園の1つです。第三台場に接する形で戦前に造成された旧防波堤と1960年代に造成された13号埋立地によって誕生した入り江の一帯にあたり、新木場が完成するまでは第三台場貯木場として使用されました。公園になってからはタグボード乗り場が設けられたときありました。この公園には戦前に由来するものから比較的最近のものまでモニュメントやオブジェが置かれています。
第三台場とその地続きの旧防波堤には隅田川の方から多数の遺体が流れ着き、戦後しばらくまで卒塔婆を設けるなどして供養されていました。毎年慰霊を行っていた方々の高齢化や臨海副都心開発に伴い東京都が新たに石碑を設け現在に至ります。
レインボーブリッジに面した側にある、船を係留していた場所の名残です。
品川台場の設計を手がけた伊豆韮山出身の代官 江川英龍との縁から台場築造150周年事業として伊豆の国市(当時韮山町)が河津桜を植樹した記念の石碑です。
少なくとも園内の2カ所に設けられ、春になると石碑の周りは桜で彩られます。
伊豆諸島 新島で産出される抗火石(コーガ石)を使用して造られた彫像で絵文字🗿(モヤイ)のモデルにもなっています。他にも竹芝客船ターミナルや渋谷駅南口などに設置されています。ちなみに人工的に作られた砂浜は同じ伊豆諸島の神津島から搬出された砂を使用しています。
デックス東京ビーチが中心となり、現在は臨海副都心まちづくり協議会が公園の敷地を借りて管理している巨大なタブノキです。20代向けの集客として街がオープンした96年に最初の木が植えられ、クリスマスツリーとして大きな話題になりました。「クリスマス」の名を使えなかったのは公園が都有地のためで、最初期は冬が終わると木を植え戻す予定でした。
お台場海浜公園の岩場一帯に設けられているオブジェです。
「日本におけるフランス年」(1998年)を記念して、パリに設置されている本物の自由の女神像を1年限定で設置したことが始まりでした。景観が好評だったことなどもあり、パリ市公認の下で撤収されたオリジナルからレプリカを制作し2000年に再設置されました。近年汚れが目立っていましたが、2020年春にメンテナンスされて綺麗になりました。
2020年東京オリンピック開催を記念して大会組織委員会が設置したシンボルです。途中スリーアギトスとの交換を経て、TOKYO2020閉会式翌日に撤去されました。
デックス東京ビーチにある「お台場たこ焼きミュージアム」に設けられている神社。今宮戎神社からえびす大神を分祀しています。
13号埋立地の造成後、1974年に開園した公園です。臨海副都心がオープンした1996年までは13号地公園と呼ばれました。お台場海浜公園と陸続きになっていますが、前者は港湾局が管轄して親水性を優先した海上公園なのに対して潮風公園は建設局が管轄する都市公園といった違いがあり、歩いていると護岸や柵の有無などから方向性の違いを感じられます。この公園には公園の歴史に根ざしたオブジェなどが設けられています。
潮風公園としての改修時に設置された記念碑です。
対岸の天王洲アイル駅と東京テレポート駅とを行き交うりんかい線の換気口です。この部分は東京臨海高速鉄道が所有しています。現在は夕陽の塔と呼び、その名の通り春分の日・秋分の日は塔の間を夕陽が通り抜ける光景で有名です。
シンボルプロムナード公園の一部。お台場海浜公園の展望台からテレコムセンター前の滝の広場までのびているのがウエストプロムナードです。緑豊かな青海地区と比べ、台場地区側はお台場海浜公園やレインボーブリッジなどの海の眺望がとてもよいエリアです。
アクアシティお台場の近くにあるクリップのようなオブジェ。それなりに年季を感じる様子は待ち合わせの目印として設けられたのでしょうか。
フジテレビ社屋の横にあり、臨海副都心がオープンした1996年からパブリックアートとして設置されているオブジェです。
そのほか台場地区を歩いていて見かけるオブジェをピックアップしました。
お台場海浜公園駅からデックス東京ビーチなどへ向かう通路を横に入ったところにあるオブジェです。鳥居が並ぶような風貌で末端には鏡も設けられており、奥へ伸びゆく鳥居を楽しみながら撮影できるようにもなっています。臨海副都心がオープンした頃から設置されています。
Public Art #5: Daniel Buren’s “25 Porticos” | TABlog | Tokyo Art Beat
海浜公園交差点近くに設けられたトリックアート。1995年に福田繁雄氏が手がけたもの。90度向きを変えるとそれぞれ作品名の通り変化します。福田繁雄氏は大阪万博のポスターを手がけたことで有名なのだそうです。潮風公園に設置されている(※現在は一時的に水の広場公園へ移動)「潮風公園島の日曜日の午後」も同氏が手がけたものです。
ローソンがあるシーリア前交差点沿いに設けられたトリックアート。これも福田繁雄氏が手がけたもので90度向きを変えるとそれぞれ作品名の通り変化します。
シーリアお台場三番街1号棟への入口近くに設けられたトリックアート。これも福田繁雄氏が手がけたもので90度向きを変えるとそれぞれ作品名の通り変化します。